飴玉がりがり

輪るピングドラムを噛み砕く記録

箱の中だよ<輪るピングドラム考察>

箱ってあれですよ。23話、24話で晶馬と冠葉がそれぞれ入ってたあの箱ですよ。

 

率直な印象としては、ユング心理学でいうところのペルソナ(仮面)に近いのかなあ…とは思っていたのですが、昔何かで軽く聞きかじった程度の知識しかない上に、うまいこと自分で納得する理由付けが出来なくてずっと考えるのを放置してました。

…と思っていたら、ちょうどいいサイトを見つけました。

カウンセリングサービス■心理学講座「『仮面(ペルソナ)』の人生」

そうですまさにこの記事なんです。私が感じ取った「箱」の正体。

 箱=ペルソナ(仮面)と考えると、話は早い。

「人間っていうのは、不自由な生き物だね。自分っていう箱から一生出られないんだ。隣に誰かがいても、壁を越えて繋がることもできない。僕らはみんなひとりぼっちなのさ。その小さく狭い箱の中で何かを得ることなど絶対にないだろう。」

そう眞悧は言っていますが、それはお前さんが分厚い仮面、つまり厚い壁の箱の中に入っているからそう思うんでないのかい?

晶馬も冠葉も、最初は箱に入っていた。大して話したこともないであろう他人だったからね。でも、高倉母こと千江美も言っていたように「私たちの知らない間に二人は仲良しになっていた」。23話、24話の箱のシーンは概念上での出来事、つまり心理描写なのだろうけど、現実世界では恐らく何らかの交流があったのだろう。本編では描かれなかったけれども。

 

晶馬も冠葉も陽毬も、誰もが何らかの役柄としての仮面を、…箱に入っていた。きょうだいとしての顔、子どもとしての顔、友達としての顔、時々組織で顔を合わせるくらいのよく知らない他人としての顔。

恐らくずっと分厚い壁の箱に入っていたであろう眞悧は、それに嫌気が差し、破壊を試みた。社会に復讐するという形で。

でも、上記リンクのサイトによれば、仮面も元々は自分の長所なんだってね。ただ、その仮面を厚くしすぎると素の自分とのギャップに息苦しくなる。自分の仮面と程よく付き合えたらいいんだろうけどな。加減が難しいね。

 

箱を壊さなくても、箱に入ったままでも、本当の自分でいられるんだよ。それは少し、傷つく行為かもしれないけれど。最終話のプリクリワールドで、高倉兄妹はそれを教えてくれたのかもしれないな。