飴玉がりがり

輪るピングドラムを噛み砕く記録

愛の象徴<輪るピングドラム考察>

愛の象徴・荻野目桃果。

 

放送当時、いや、放送終了してしばらく経過してからも、私は彼女をどう捉えたらいいかわかりませんでした。彼女は結局人間なのか、神様なのか。

 

そんなことを考えていた時、輪るピングドラムBD第5巻のオーディオコメンタリーに収録されていた、幾原監督の15話の桃果に対するコメントがヒントになりました。

以下、そのコメントの要約です。

・桃果を「愛のアイコン(象徴)」として登場させたかった。

・当初桃果は顔は出さない予定だった。

・人間的な表現はされず、神話の中の登場人物みたいにミラクルを起こす存在であると想定していた。

・しかし、15話の構想に辿り着いた際に、顔を出さずに(話を)やるのは無理だな、と思いキャラクター化した。

・15話(ゆりの回想)では比較的普通の女の子として描いているが、18話(多蕗の回想)では母性的なパーソナリティとして描いている。そこは印象を意図的にジャンプ(飛躍という意味か)させている。

 

なるほど、どうやら監督自身もかなり試行錯誤していたようなので、観ている私の解釈が定まらないのは当たり前の話なのかもしれませんね。

ところでこの監督のコメントから、私はユング心理学(分析心理学)で いうところの「集合的無意識(普遍的無意識)」および「元型」の話を思い出しました。

集合的某や元型の詳細はこちらのサイトや、Wikipedia(集合的無意識 - Wikipedia元型 - Wikipedia)を見て頂けたらなんとなくお分かりになるかと思うのですが、ざっくり言うと、個人が形成する無意識よりもさらに深層に存在する無意識領域、および人類が遺伝的に持っているある概念に対するイメージ、といったところでしょうか。

その集合的無意識における愛の象徴が、この作品においては荻野目桃果という少女として登場する。そんな印象を受けました。

 

話は少し変わりますが、一部世間の意見と齟齬を感じる点があったので以下メモ書き。

一部ネット上で、桃果の印象を「博愛の持ち主」と述べていた意見も見受けられたのですが、どうも私の中ではむむむ…?と思うところがありました。果たしてそうだろうか。念のため博愛という言葉の意味を調べてみると、

「博愛」は「すべての人を平等に愛すること。」と定義されているとのこと。(引用:はくあい【博愛】の意味 - goo国語辞書)

むむ…平等かな?桃果は果たして平等かな?

私が思うに、ゆりを救うためにゆりの父親、多蕗を救うために他の子どもたち、世界の大勢の人を救うために眞悧を犠牲にした桃果には、眞悧が言うように「全てを救えない」んですよね。それは平等に愛するというのだろうか。

じゃあ桃果の「愛」ってどんな愛なんだろう。

ここで監督のコメントにもあった母性という言葉を調べてみると、

「母性」は「女性のもつ母親としての性質。母親として、子供を守り育てようとする本能的特質。」とのこと。(引用:ぼせい【母性】の意味 - goo国語辞書)

うむ、確かに母性的な愛と呼んだ方がそれらしい気がする。

桃果にとって大切な存在であるゆりや多蕗を、自分の子どものように慈しみ守る。母性的な愛は、突き詰めて考えると自分の子どもを守るために他者への攻撃に転じる場合もあると私は考えています。何かなかったっけそういう話。

勿論、宗教的な意味で言えば博愛も母なる愛なのかもしれないけど、残念ながら宗教学にはそんなに明るくないのでここであれこれ述べるのは控えます。宗教的な観点からの解釈を聴きたい人は他の方に訊いてくれ。 

また、どうして桃果がゆりや多蕗を選んだのかについてはもう彼女の琴線に触れるものがあったから、としか言いようがないよね…。子どもの頃、友達に作るときってそんなに深く考えて友達にならないし。しいて言えば「居心地がいいか」ということは考えるかもしれないけどね。

 

こうして考えると、15話のサブタイトルは「世界を救う者」ですが、「世界」って別に全人類の存在する国際的な意味での世界ではなくて、一個人が認識するある範囲という意味での世界なのかもしれないな…。同監督の「少女革命ウテナ」も、実際のところ少女の世界を変革するお話だしな。

 

なお、15話のコメンタリーの締めくくりで、幾原監督はこのように述べています。(要約)

 神話の中の無償の愛、なんだよね。生きていたら普通の女の子だったであろうけど、死んでしまってるので彼女の神話性が強調されてみんなの中に残っている。

人間だけど無償の愛の象徴でもある、神様みたいな女の子。なんだろうなあ。私の中ではそういう感じで決着がつきそうです。

 

一個人としての荻野目桃果は彼女に接したことのある人しか知り得ないわけだけど、「愛の象徴」としての荻野目桃果は、もしかしたら誰の心にも飛び込んでくる存在なのかもしれないですね。