忘れ去られた彼と忘れられない彼女<輪るピングドラム考察>
輪るピングドラムという作品は、対照的な二人のコントラストが美しい作品だなあと思っています。組み合わせは様々ありますが、とりわけ私は眞悧と桃果が好きです。
今回はその眞悧と桃果のうち、「忘れる」というテーマに絞って考えていきたいと思います。
「忘れ去られた彼」とはどういうことなのか。
そのヒントになったのは「写真」でした。
21話のピングウェーブ、もとい鷲塚医師の夢の中で、彼は机の上に置かれた「第36次南極環境防衛隊」の写真のなかに渡瀬眞悧の姿を見つけます。
しかし、12話で眞悧が鷲塚医師の机に置いた際は、そこに眞悧の姿はない。
写真というものは時間の一瞬を切り取って一枚の紙の中に閉じ込めたものであり、「過去」を象徴するものだと私は思っているのですが、その「過去」に存在していたはずの彼がいない。眞悧のことを知っているはずなのに、鷲塚医師の記憶には彼がいない。
これがどういうことなのかを改めて考えてみると、彼は「忘れ去られた存在」である、ということを示しているのだろうなと推測しています。
また、20話の陽毬の手紙のなかには
「私が世界にいたことをおぼえてくれているひとがいるんだもん。」
という一文があります。
「透明になる」ということは「世界から消えてなくなる」ということ。こどもブロイラーのシーンでは繰り返し言われていますが、何も「世界から消えてなくなる」ということが肉体の死とは限らないと思うのです。誰かの世界、つまり記憶にも残らない。そういうことも示唆しているのではないかと思うのです。
なお、眞悧がこどもブロイラーで粉々になった透明な存在である(のでは)という話はこちらの記事で書いています。↓
透明な存在のなれの果て<輪るピングドラム考察> - 飴玉がりがり
元々いなかったものがぼうっと浮かび上がってきたのではなく、存在していたものが記憶の中から忘れ去られた。初見で話を追っているとなかなかそうとは気付かないんですけど、全部観終わったあとで振り返ると、そういうことだったんだな、と気付くことができるような気がします。
対して荻野目桃果には、「カレーの日」というものがあります。毎月20日に家族でカレーを食べる、荻野目家に長年存在する通称「カレーの日」。元々は桃果の月命日に彼女を偲ぶ目的で作られたのでしょう。
ピンドラの一部のファンの間でも、今なお実施している方をお見受けしますが、毎月って結構な頻度ですよ。それも劇中では16年。おそらく今後も実施していくであろうカレーの日。実施している以上、彼女を忘れるわけがありません。
忘れ去られた彼と忘れられない彼女。劇中における対照的な二人としてよく取り上げられる眞悧と桃果ですが、具体例を挙げて検証するのもまた楽しいですね。
対照的な二人の話は、また何か見つけたら書きたいです。