飴玉がりがり

輪るピングドラムを噛み砕く記録

寓話的メリーさんの羊<輪るピングドラム考察>

劇中12話において晶馬の口から語られる「メリーさんの羊」の話。 

ぶっちゃけ意味がよくわかりませんでした。配役やキーワードが何を意味しているのかを考えても、現実で起きていることがそのまま当てはまるわけでもなさそうですし。読み解くにはもっと他の知識が必要なんだろうか。なんなんだこの寓話みたいな話。

そんなことを思っていました。

 

…そういえば、そもそも寓話とはどういうものだったろうか。

【寓話】

擬人化した動物などを主人公に、教訓や風刺を織りこんだ物語。

(参照:寓話(ぐうわ)の意味 - goo国語辞書

ちなみに寓話で有名なのが、アリとキリギリス、北風と太陽などで知られるイソップ寓話(物語とも)ですね。

なるほど、もしかしたら「メリーさんの羊」の話も、寓話的であると言えるのかもしれない。改めて寓話という言葉の意味を考えると、個々の配役やキーワードの意味を細かく捉えるより、教訓や風刺といった物語全体を通しての意味を捉えた方がいいのかもしれないですね。

 

例えば、イソップ物語における「すっぱいぶどう」の話も、話の意味するところが変わらなければ、登場するキツネはタヌキでもいいだろうし、ぶどうは柿でもいいだろう。

それと同様に、この「メリーさんの羊」の話も、子羊は子豚だっていいし、りんごの木は桃の木でもいいのかもしれない。重要なのは、細かいキーワードの意味よりも「メリーさん(親)の犯した罪による罰を子羊の一頭(陽毬)が受ける」という教えではなかろうか。

また、あくまで私のこの解釈はこじつけに過ぎないのですが、そういう意味では晶馬の言うところの「メリーさんの羊」も陽毬の病気とのこじつけに過ぎないんですよね。

陽毬の病気は「高倉家に科せられた罰」である。少なくとも晶馬はそう認識している。そう思い込んでいる。

 

幾原監督作品はよく「内的世界」、もっとフランクに言えば「脳内イメージ」でしょうか、そういう映像を描くことにも定評があるようなのですが、この「メリーさんの羊」の話は、「そういう認識を彼はしているよ」と言いたいのだろうなと思いました。

 

考察とはほど遠いものになってしまった。まあいいか、噛み砕いたことを記録することがこのブログの目的だし。

宗教学的観点などからも解釈してみると面白いのかもしれませんが、如何せん私が宗教学に明るくないのでここでは控えますね…。