飴玉がりがり

輪るピングドラムを噛み砕く記録

ピングドラムってなんだろな<輪るピングドラム考察>

ピングドラムの正体って何なのでしょう。6年くらいずっとピンドラを追い続けているんですが、実ははっきり自分の中で結論づけたことはないんですよね。

 

劇中終盤で言われる「愛の話なんだよ」という台詞からもわかるように、おそらくピングドラムは「愛」なのだろうなあ、とまではなんとなくわかります。

でも愛っていろいろあるじゃないですか。どんな愛なんだ、ピングドラム

 

全話を通して繰り返し観た現在、率直に思うのは 

「見返りを求めない愛」つまり、無償の愛なのだろうな、ということ。

 

劇中で繰り返し表現されるんですよね、「報酬」やら 「代償」やら。

報酬は与えた本人にプラスのものが返ってくる。代償は与えた本人にマイナスのものが返ってくる。特に前者は眞悧が、後者は桃果が口にしているような気がします。 

 

 おそらく眞悧のなかにも「愛」という概念はあるんですよ。しかし彼の思う「愛」は与えたものから報酬が返ってくればこそ、という認識なのでしょう。報酬があるから代償に耐える価値がある。なので、冠葉のような「報酬がないのに代償を払い続ける行為」に懐疑的なのでしょう。そんなもの、存在できるわけがないと。

また、 無償の愛を無限に供給できるのは神様かそれに近い聖人くらいのもので、通常の人は愛を供給し続けていたら枯れ果ててしまう。それこそ、劇中終盤の冠葉のように。人間である以上、愛を与えるには何かしらの「代償」が必要なのだと思います。

 

ところで、渡瀬眞悧はある種、病的な自己愛の持ち主だと思うのです。自己愛といっても、決してありのままの自分が好きなのではない。通常、人は誰しも「自己愛」というものを成長の過程で育みますが、それが病的な状態になると誇大妄想ばかりが広がり、根底では等身大の自分を愛せずにいる。(参考:ナルシシズム - Wikipedia)

彼は帽子の彼女(桃果)に恋をしていると言っていますが、「今度こそ見せつけてやりたいんだ。帽子の彼女に、世界が壊れるところを」と言ってるあたり、利己的な感情で彼女を見返したいことを「恋をしている」と表現してるのではないかなと思うんです。それは自分の為であって、決して桃果の為ではない。利己的な感情で動いているうちは、それは愛ではなく恋なのかもしれない。

 

眞悧は13話で桃果に「二人でピングドラムを探すのさ」と話しています。

彼は誰よりもピングドラムの存在を求めていて、誰よりもピングドラムの存在を否定したいのだと思うのです。自分が透明な存在になったのは、生前にピングドラム(無償の愛)を与えられなかったから。それが今の自分の存在を証明するものだから。ピングドラムが存在しないこの世界は壊すに値する世界だと、自分の主張を裏付けたいから。

 

そう考えると、ピングドラムの正体はやはり「無償の愛」なのではないかなあと思ったりします。合ってるかな…答えはないからわからないぞ。

本当は高倉兄妹や苹果たちの関係に沿って考えていきたかったけど、気付いたら眞悧の話ばかりになっていたので少年少女たちのお話はまたいつか。 

 

 

余談ですが、桃果自身もたぶん「ピングドラム」の正体に気付いてないんだと思います。おそらく、無償の愛そのものを彼女は知っているけれども、「ピングドラム」が無償の愛であることには気付いていない。

 

例えると、 

眞「ドアの蝶番が壊れたんだけど…」
桃「ちょうつがい?」
眞「ドアと壁をつないでる金具のことだよ」
桃「えっ あれって蝶番っていうんだ!」

と、ピングドラムとこの蝶番に置き換えるとわかりやすいかも…(そうかな?)。

 

だから、桃果の意思を持つ(であろう)プリクリ様もいまいち「ピングドラム」の正体が何なのかはっきり言えなかったんじゃなかろうかと思うのです。