透明な存在のなれの果て<輪るピングドラム考察>
その名を渡瀬眞悧。
輪るピングドラム23話冒頭をご覧になった方はわかるかと思うんですが、シラセとソウヤ(黒兎)はいわば眞悧から分かたれた分身のようなもの。そのシラセとソウヤが同23話終盤で言うんです。
「僕は何者にもなれなかった」
「いや、僕はついに力を手に入れたんだ」
「僕を必要としなかった世界に復讐するんだ」
「やっと僕は透明じゃなくなるんだ」 って。
この時の私の心情を率直に述べると、「眞悧、お前もかー!!」でした。
何が「お前も」なのか。これは私の憶測ですが、恐らくは陽毬や多蕗と同様にこどもブロイラーへ行き、ピクトグラムの子どもたちのように粉々にされた。そのように考えています。
前回の記事の締めくくりで、
こどもブロイラーにおいて透明な存在になることを精神の死と仮定すると、粉々になった後も肉体はどこかで生きているということになるんですよねえ。
と述べたのですが、それが生前(劇中16年前の事件以前)の渡瀬眞悧なのだろうな、と思うのです。
社会的におよそ許されるはずのないことをしてしまった渡瀬眞悧。それでも私が彼を心の底から憎むことができないのは、そういう背景を想像してしまうからなのでしょうね。
紙一重、なんですよね。陽毬と多蕗と眞悧。一体何が彼らの行く末を分けたのか。
改めて述べると、陽毬は晶馬に、多蕗は桃果に救われたことがその運命を分けたのでしょう。
じゃあなんだよやっぱり選ばれなきゃ助からねーんじゃんちくしょーグレてやる!!
…と、私なんかは思ってしまうんですが、だからといって眞悧のように復讐に走ったところで何も救われないし解決しないんですよね。全ての人を救えるわけではなくとも、晶馬や桃果のように手を伸ばして守りたい人を守るしかない。手を伸ばしてくれる人がいたら躊躇してないでそれに応えるしかない。自らを救いたいなら。難しいな…。
例に出したのは陽毬と晶馬、多蕗と桃果だったんですけど、この作品、ほぼどのキャラも誰かを救おうと奔走している。晶馬や桃果だけじゃないんですよね、この世界の救世主は。
眞悧好きの私は、眞悧にも救世主がいてくれたらよかったのになあと思ってしまうのですが、それは彼が透明な存在のなれの果て、…死して呪いのメタファーとなった存在である以上、許される願いではないのでしょうね。
今日はこの辺で。